拘りは成長の妨げになる
趣味は、拘り(こだわり)の塊の世界と言っても過言では無いだろう。
写真なんて最たるものだ。
「私はズームレンズは使わない、単焦点レンズでしか撮らない」とか「撮って出しなんて論外、RAW現像をして初めて写真は完成する」といった拘りだ。
僕にも最近まで拘っていることがあった。
でもその拘りはinstax mini Evoを購入したことで終わりを告げ、さらには「この拘りは僕の成長の妨げになっていたな?」と反省することがあった。
今回はその話をしたいと思う。
【この記事はこんな人にオススメ】
- 自分の拘りを把握している人
- そんな拘りに疑問を持ち始めている人
- 全く拘りの無い人
僕の拘り
僕にも強い弱いに関わらずやはり拘りがある。
ちなみに強いは絶対譲れない拘り、弱いはそんなに拘っているつもりは無いがそういう傾向になっている拘りだ。
自己分析した僕の拘りはこんなところだ。
[強い拘り]
- 絶対にファインダーを覗いて撮りたい
- MFレンズ(マニュアルフォーカスレンズ)で撮りたい
- 撮影中は撮った写真を背面液晶で確認しない
- 重くてデカイカメラは嫌、軽くて小型なカメラが良い
- ネックストラップは嫌、リストストラップに限る
[弱い拘り]
- 何故かVoigtlander製のレンズしか使わない(買わない)
- 撮って出し派ではなくRAW現像派
他にも気づかないだけで拘っていることがあると思うが、とりあえずこんなところかな?
ファインダーの拘り
僕の拘りで1番強いのは「ファインダーを覗いて撮りたい」ということだ。
この拘りは相当なもので、過去にファインダーが無いコンパクトカメラを使っていた時は高価な外付けファインダーを買ってそれを付けて撮影をしていたぐらいだ。
さらにはカメラ系のYoutuberさんが「○○○(場所)でスナップ撮影」みたいな企画で、背面液晶を使って撮影をしていると、それが理由で続きを見たくなくなるほど…
我ながら古いタイプの人間だなと思ってしまう。
最近は逆に「ファインダーなんか使わず背面液晶を使ってヒョイヒョイ撮る」って人が多いというのに。
僕がファインダーに拘る理由はこんなところだ。
- MFレンズで撮影をするので、ファインダーを覗いた方が撮りやすい
- MFレンズ使用時、背面液晶でのピント合わせを信用していない
- 背面液晶だと水平が取りにくい
- フィルムカメラの時代から染みついた撮影工程から脱却出来ない
こんなところだろう。
ざっくりまとめると「MFレンズ使いの宿命」.「昔の癖が抜けない」といったところだ。
instax mini Evoが考えを変えてくれた
そんな僕のファインダー絶対主義の考えを変えてくれたのは、先日購入したinstax mini Evoだった。
instax mini Evoは「元々ファインダーが無い」,「軽いけど筐体がデカいので外付けファインダーを付けると邪魔」という理由で背面液晶を使った撮影をしざるを得なかった。
instax mini Evoでかなりの枚数を撮ったが、いまだに背面液晶での撮影に違和感がある。
でも1つだけ、僕を成長させる気付きがあったのだ。
それを説明する前にこのYoutube動画を見て欲しい。
これはプロカメラマンの赤城さんと渡部さんのGR対談の動画だ。
この動画の32分12秒辺りから34分05秒で渡部さんが語っているカメラをねじるヨーイング撮影方法について、僕は何を言っているのかが全く理解できなかった。
でもinstax mini Evoを持ってスナップ撮影をしていた時に、この動画のことをふと思い出し、カメラをねじって目の前に広がる普通の街の風景を背面液晶で覗いてみたところ、がメチャクチャかっこよくみえたのだ。
その瞬間「あぁ…渡部さんが語ったヨーイング撮影方法で撮れる写真のかっこよさってこれなんだ!」と気づくことが出来たのだ。
もしファインダーを覗いていたら絶対に気が付かなかったと思う。
何故なら僕は「ファインダーを覗く=水平を保つ」という癖が付いてしまっているため、カメラをねじって構えるという手法を無意識に排除していたからだ。
我ながら良い感じにヨーイングが出来たと思える作例
これはヨーイングじゃなくて回転かも?
まとめ
このように、僕はファインダーを覗いて撮影をするという拘りによって、表現手法の1つを無意識に排除し、自分で表現する世界を狭めてしまっていた。
そしてその狭めてしまった拘りを、ファインダーの無いinstax mini Evoに気づかせてもらったのだ。
拘りというのは物事を狭く深く追求するのには非常に大切なことだと思うが、場合によっては自分の世界を狭めてしまうこともある諸刃の剣であることに気が付いた。
だからたまには自分の拘りを解放してあげることも、自分の成長に繋がるのではないかと思った。